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神に祈って願いが叶うと神に努力の成果を奪われる問題

神に祈った後に願いが叶うと、神に成果の一部を奪われてしまうと思うんですよ。例えば、

  1. 「神様、どうか試験に合格できますように!!」
  2. 試験に合格する。
  3. 「合格できた!!神様ありがとう!!」

ってなるじゃないですか。

 

でもね、合格できたのは神様のおかげじゃないくて、あなたの努力の結果まさにそのものなんですよ。あなたの合格に神の力(人間を超えた力)は一切混在していないです。それはまさにあなたが勝ち取った合格なんですよ。
神様にその成功の喜びを分配して(神様のおかげで合格できた ってことにしちゃって)いいんですか? いやよくない。

「あ〜あ、どうせ合格するんなら神様に祈らなくてもよかったな〜」って思ったことないですか?(私の調査だと、私を含めた1人全員が「ある」と答えています)目標達成の喜びや自信、高揚感、自己肯定感、それらのすべては成功を達成した自分自身が味わい尽くすために存在する。

成功の喜びを神に分配するとしても、神に祈ったことで得られる安堵感分(「神様にお願いしたから大丈夫!」という精神の安定材料としての神)のペイだけで十分だろう。安堵感等が「祈りという行為」で得ることができ、精神を安定させるという事実はある(それは一般にほんの少しだろう)。

はっきり言おう、神という人間を超えた存在が、人間を超えた力であなたを合格させることはない。合格できたのは、100%あなたの努力だ。祈って合格できるのなら、勉強なんてめんどくさいことしないで毎日祈ってるわ。

 

何が彼女に合格をもたらしたのか?

ところで以前、どうしても私と一緒に「お祈り」がしたいという女の子が突然に家に来まして、玄関でその子の話を聞いたんですよ、初対面だったんですけどね。モテる男は辛いですね、いい男の噂は自然と広まってしまうようです(宗教勧誘とも言います)。

彼女がいうには「毎日お祈りをしていたから試験に合格できた」って言うんですよ。自分の力ではなく、神様の力で合格できたって言うんですよ。

そのとき私はカチーンときまして、「それは違う、あなたは合格するために大変な努力をしたんでしょ?合格できたのは祈ったからじゃない、あなたが努力したからだ、あなたの力で合格できたんだ」って言ったんですよ。

そうしたらその彼女は「私はそんな優秀な人間ではない、祈ったからこそ合格できた。祈ることで私は合格できたんだ」なんて言うんですよ。彼女がどういう状態にあるかというと、自分の努力の成果を神様に全部持ってかれちゃってるんですよ。「自分の努力の成果」って例えば「達成感、自身」だったり「喜び、幸福感」だったり「自己肯定感」だったりしますよね?
彼女はそれらを神さまに奪われてしまっているんですよね。もったいない、その合格したときにでる膨大な幸福感、神に譲るぐらいなら俺にくれ。

 

私は彼女をなんとか神の成果搾取から救おうと思いまして、いろいろと彼女を話をしたんですけど、結局は神に奪われた彼女の成果は奪還できませんでした。

気が付けば玄関で1時間ぐらいしゃべってたんですけど、彼女が「もっと話がしたいのでサイゼリアで話しましょう」って誘ってくれたんですよ。あいにくそのとき私は、別の女の子に「試験に必ず合格できるブレスレット」を紹介してもらう予定(デート商法とも言います)があったので断りました。体が2つあればいいのに、これだからモテる男は辛い。

 

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